2月に観た映画『カラーパープル』からの流れで、スピルバーグ版の『カラーパープル』を観ました。
その時の気づきと感覚について書いてみます
映画は人種・性・奴隷への差別が描かれていました。
登場する女性たちが、まるで自分の一部であることに気づくような映画です。
主人公は父親や夫からの支配や暴力を受けてきましたが、他者に対して暴力を容認し、仕向けるような発言もありました。
その描写はいいとか悪いとか抜きにして、大なり小なり、誰の中にも存在するものだと感じました。
人は自分自身が受けた支配や暴力を、他者に適応することも、反面教師とすることもあります。
自分自身の中の支配や暴力、依存をあぶりだすような映画だと思います。
生まれた時の環境や文化の中で支配や暴力が当たり前すぎると、自分の生きづらさが分からないまま、諦めて絶望していることもあります。
自分自身を「囚われから解放」することは、自分自身のとてつもない闇をみることでもあります。
ありのままに観ることができると、そうすることでしか対処できなかった、生きることができなかった私がそこにいたのだと知ることができます。
「それでも私は生きている!」
いかなる暴力も容認する必要はありませんし、許す必要もありません。
スピルバーグ版『カラーパープル』にあった「罪人にも魂はある」というセリフは、今の私に特にグッと深く入ったところでした。
魂のレベルでの許しがあり、心からそう感じることができた時、怒りや憎しみ、許せない想いから自分自身を解放するものです。
魂レベルで傷ついた人に、感じてみていただきたい場面でもあります。
自分自身を許し、解放し、自由になる。
そうさせないのは信念のブレーキです。
また、状況が変わること、相手が変わってくれることに強く執着していることもあります。
願望どうりに行かないことや願望どうりにしようと執着しているときは、一生懸命に外側を整えようとします。
また、自身が相手を許さねばならないのではないか?
痛いことを容認することは、この先も痛いことを受け続けることになるのではないか?
それは絶対に嫌だと抵抗して、拒絶することに強く執着していることもあります。
このような強い抵抗を感じる場合は、ありのままの自分を知ることを難しくさせます。
ですので、状況や相手を変えることや抵抗することに執着している自分に気づいていくことも重要です。
「お互いがありのままでいて、幸せである。」
多くの人がそのような世界に向かっているのだと感じました。
その過程の中には、これまで一緒にいた人と離れていくこともあります。
それでも、あなたはあなたを生きていい。
私は私を生きている!
自分を生きよう!
今日もごきげんよう
全てに感謝です。